コスタリカの歴史と過去の戦績part3

北区リーグへの参加

 
狂会クラブカップ vsベルジャン(赤い悪魔) ユニはメキシコアウェー
(1988年11月 ガス橋グラウンド)

 前記のように1974年にチームを立ち上げもっぱら人脈を頼っての果し合い(練習試合)に終始していたが、自分たちの実力をもっと公共の場で試して見たくなるのは至極当然の成り行きである。ちなみに当時は西が丘サブグラウンドを予約するのに大した苦労は要らず、使用希望を登録しておくだけで三ヶ月に二回は確実に使用させてもらえていた。二重、三重に登録しておけば月に二回程度の使用は約束されていたようなものである。それに加えて相手チームを探して遠征しての果し合い・・当然の事ではあるが当時は血気盛んな若者集団、結果的にはほぼ毎週のように練習試合に明け暮れていた。

87〜89在籍したタイ人のチャイヤン・ウ
ェンラウィー氏の送別会。彼は王立タマ
サート大学サッカー部の出身。
(1989年)

 試合の無い週は下赤塚でひたすら練習(当時は練習終了後コーラを賭けてPK戦の練習まで良くやっていたものである。)都立大山高校サッカー部OBプラス練馬工業高校のOB、いずれも卒業したてで二十歳以下、都立の中ではそこそこの実力高校であったチームが合体して、しかも良く練習している・・オフィシャルなリーグへの加盟はあたかも決められた線路を邁進して行く機関車のようであった。

狂会クラブカップ
握手しているのは、現
アルビレックス新潟
トレーナー萩本博氏。
福島遠征 vsFCミラージュ 
さながら”ミラノダービーのよう”
1989年7月
福島県 小野新町 小町温泉旅館廣太屋

 明けて1975年、関口の音頭とりで北区リーグへ新加盟、尚当然のように当時から東京都リーグへ加盟する希望はあったものの東京都リーグではグラウンドの確保等の規約が厳しく、区のレベルでは運営が非常にしっかりしていること、西が丘のサブグラウンド等を当時の北区サッカーリーグで使用しており馴染みがある事などから、また北区で優勝したらその実績を引っ提げ東京都リーグに乗り込もう・・との野心もあったなどの理由により北区リーグからの出発を決めたものである。

 北区リーグを制覇してから東京都リーグに加盟する・・この野望は2004年現在未だに成し遂げられていないことは残念ながら言うまでも無いことである。北区リーグに加盟したものの当時は(現存もしているが)西が丘に近いこともあり、板橋区でありながら帝京高校OBが数多く在籍するチーム、帝京のすぐ側にあり日本国籍を有さないままに北区リーグに加盟しているショーグンサマーズOBチーム、また純粋な小学校からのクラブチームからある名門十条クラブ等が加盟しており、当時から東京都内においては区レベルではその実力は突出していた。

 そこにスピードだけなら負けない若いチームが戦いを挑んでみても正直かなりにあしらわれ、1975年は1・2部に別れていなかったものの翌1976年は早くも新設の2部からのスタートを余儀なくされてしまった。しかしながら2部の実力は若さだけで乗り切ることが出来るレベルであり1976年は北区サッカーリーグ2部で優勝!晴れて1977年度は1部に復帰してのスタートとなった。

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